お腹が空いたら食べるんだ

テキトー・ノンビリ・ガンバラナイ

いまここ・一日をシンプルに

1 自分と話す

自分の中の信念(コアビリーフ)
これって、今までの
自分の人生の
経験だとか、周りの人から言われたことだとか
それが、思い込みになっている場合がほとんど。
だからね、
素の自分と話す。

ひとつのアイデアだけど
自分の5歳くらいの写真を
目に付くところに置くといいよ。
その子と話す。
私はスマホトップに貼っている。
子供時代にいい思い出がない場合は
好きな自分の写真がいいかもね。

いまの感じはどうかな。
いま飲んでるコーヒーは美味しいかな。
いつでも
今やっていることに
焦点をあてて自分と話す。
何もしてない時は
ただ、呼吸をしている自分の感覚を
感じる。

過去の話でもない。
未来の話でもない。
いまここ。

2 人と話す

身近な人と話す。
家族。友達。
今日、会った人。
買物したら、担当の人にありがとう。
ルフレジの時は
ルフレジについている人にありがとう。

家族や友達
お仲間、ご近所さん
仕事仲間と
たわいのない話。
それは笑顔を分かち合うための話かけ。
過去の話でもない。
未来の話でもない。
いまここ。

3 自然と話す

私の場合は、
最近
お散歩しながら
桜の木に話しかけている。

元気ですか。
今日は寒いね。
つぼみがかわいいね。
冬の間もここにいたよね。
頑張ってるね。
この枝の形はアートだね。

空とか太陽とか雲とか雨とかにも。

自然に話しかけるって
なにもね、
不思議ちゃんの行動ではなくて
いまここにある
自然、自分の環境に
感謝することだと思う。

それに、そのことによって
いかに、自分には
自由な時間があるのか
静かな時間があるのか
いまここを生きているのか
思い出すために。
感じるために。

過去でもない。未来でもない。
いまここ。

4 ちょうどよく食べる

中庸が肝心って
昔、習ったよ。

中庸とは、
偏らず、過不足なく
調和がとれていること。
儒教からの言葉で
アジアの話と思っていたけど。

アリストテレス倫理学でも、
「過大と過小の両極端を悪徳とし、
徳は正しい中間(中庸)を発見して
これを選ぶことにある」
としているんだって。

食べ過ぎない。
ちょうどよく食べる。
お酒を飲みすぎない。
お砂糖をとり過ぎない。
食べ過ぎない。
炭水化物だとか、
またはタンパク質だとか
何かの食事方法で偏り過ぎない。

5 ちょうどよく動く

運動は大事だけど、
それは何も、
自分を消耗させるような
運動でなくていい。

がんばらなくていい。
無理に習慣化させなくていい。

それより
もっと日常的なこと。
家の掃除だとか、整理整頓だとか
料理をするとか、片づけるとか
日常的なことで
いつもより、体を動かすこと。
家も綺麗になるしね。
気持ちがいいよね。

私の場合はね
最近はね
3つの排水口の掃除
キッチンと洗面所とお風呂
これは、歯磨きくらい
習慣化されてきたんだけど
今朝、ふと、シンクの汚れが気になって
紅茶をいれて2分待つ間に
サササッと
シンクをお掃除したよ。

気づいた時に
サササッと。
それでいいよね。
自分の心が
軽くなるように
お掃除とかすればいいよね。
やらなきゃやらなきゃって
頑張ることもないしね。
それをすれば
自分が気持ちいいから
やればいいよね。

おっちょこちょいで
10日ほど前に
指が包丁にあたって
小さなかすり傷程度のができたんだけど
それが治ってきて
本当に感謝した。
さささっと、シンク掃除できたのも
指の傷が治ってきたからなんだ。

今、自分が
指が使えて
手が使えて
自分がやろうと思ったことができるって
すごいなって
ほんとに感謝した。

それって、
10日間
すっごく不便だったから
そう思えたんだけど。

そんなふうに、
日常生活を重ねていくと
どれだけ、恵まれているのかを
すぐに忘れちゃうよね。

いろんな本を読んで
感動したりして
「ああ~私は恵まれてる」って
その時思っても
すぐ忘れちゃうんだよね。

それで、
小さなかすり傷ができたという
そのおかげ様で
自分の経験を通して
学んでいくんだね。

だから、結局は
自分自身の
行動と経験なんだね。

そして、それは常に
いまここ
それを意識することで
幸福感だとか
安心感だとか
豊かさだとか
そういうものが
自分に舞い降りてくるんだね。